本日、3週間ぶりにジムに戻って来た、ああ、寒い。
引っ越してから物を片付けていない状態でジムを出てしまったから、いろいろと溜まっている。これだ、これ、まず自分がやらないといけない事は。
カレンダーが完成した。
(皆、笑ってますな。)
本来は11月の中頃、沖縄に出る前に終えている予定だったのに、やはりずれ込んでしまい、結局は日本に帰って来てから昨日完成した。
日本に帰って来て以来カレンダーは自分が制作しているのだけれど、少しずつ、確実に制作するのが大変になって来た。時間やエネルギーの使い方を考えないといけなくなってきたんだと思うんだ。
最初に制作したのは帰って来た年の2010年だった。
(何故バックが宇宙だったのか、特に意味はなかった)
この頃はまだ誰もタイトルを獲得していなかったが、荒川、淵上、チャーリーが日本で1位となり指名挑戦者として次の年に向かおうとする挑戦目前の年だった。経済的にはかなり苦しかったのを思い出す。今はスケールが大きくなり苦しくなっている。
そして日本タイトル獲得ラッシュとなった2011年
(爆発、みたいな)
この年は指名挑戦者達がそれぞれしっかりとタイトルを獲得し、ジムが爆発したような年だった。防衛戦もしっかりとこなし、3王者が東洋王者ともなり、新たにデビューした選手達も加わって盛り上がった年。実はこの年、八王子中屋ジムは日本のプロボクシングジムで勝率、KO率、全国No,1だった。
そして挑戦、その為の我慢の年だった今年、
(真剣な顔そのまま、我慢の年でもあった気がする。)
海外での試合を中心に我慢することしきりだった。B級でデビューしたアマチュアキャリアのある新人達や、同世代の野崎がユースタイトルを獲得したのは嬉しい事だった。
その反面、それ以外の選手達が特別な結果を残せず底上げ出来なかったのは、トップの選手達に注ぐ力が多くなっってしまったことと無関係ではないはずだ。
今年は改めてしのぎを削り合いながらも、笑顔でがんばっていけたらと思う。そこに結果を求めなければならない事がこの仕事の苦しくも素晴らしい所だ。
肩書き的には制作の中心にいていいのかとは思いつつ、出来る限り関わりたいとも思っている。つまりもっとやらなきゃならない事があるのではないか、
この無駄とも思えるこだわりが、どこかで今のジムの力と重なっていたりもする、と信じたい。
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(闘牛なんかにも行きました。)
沖縄から始まり、メキシコシティ、カンクン、ラスベガスと続いた3週間の海外遠征はロスでもって終わった。
結果だけをみれば実りがあったとは決して言えないが、間違いなく次の段階に進んでいるが故の、経験をしてきたんだと感じている。まぁ、その経験をする前に、やらなければならない問題が全然片付いてはいないのだけれど、、、
思えば去年の12月もラスベガスに来ていたんだっけ、あれはWBC総会の為だった。
あの時は初めての参加で、何が何だかよくわからないうちに終わってしまった、スロットマシンとは無縁の日々。
けれどもあの総会から始まったのが淵上の世界挑戦の話であり、より固まったのがチャーリーのNYでの試合だった。前者は自分の行動で、後者は他の力を借りてその後に実現まで至った。今回も次に繋がっているはずだと信じたい。
海外での経験は様々な事の視野を広げてくれる。
けれどもそれを受け止めきれぬうちに、時間はどんどんと過ぎて行ってしまう。
帰国してから現実と擦り合わせ、前に進もうとするが一番大変な事だと常々感じるのは、現実は日常の中にこそあるからなのだろうか。
カンクンの自分が宿泊していたホテルでは、巨大な敷地内にあるレストランやバーでの飲食は全て無料だった。ホテル代に含まれているらしく、パラダイスのような現実的でない世界に異様さを感じたものだった。
そんなカンクンでローカルバスに乗った時、寝過ごして観光地ではない、内陸の現地の町まで行ってしまった事がある。
白い砂浜、豪華なホテルが、目を覚ますと荒い砂風、寂れた家並みに変わっていて度肝を抜かれた。
ホテルの人が言っていたが、このような町人達の多くがホテルや観光客相手に働いているらしい。
そんなホテルの人達の働きぶりは優しかった。しかし、どこか憂いある雰囲気を漂わせ、仕事をたんたんとこなす彼らの姿を見て、自分が現実に引き戻されていく感覚を覚えた。
八王子に着いて、その寒さに夢から覚めている今、夢と現実の狭間で生きる彼等の姿に、今回一番の学びを感じた気がした。
(衝撃的出来事)
昨日、ラスベガスはMGMで行なわれたパッキャオvsマルケス戦を生で
観戦する事が出来た。
関係者の方でチケットを用意して下さり、会場内でしっかりと見る事が出来たんだ。本当にありがとうございました。
自分は他の目的があってべガスに来ていた、どちらかに賭ける為、それもやりたかったが忘れていたよ、バタバタしていて。
そして今回はおかげさまでお金をスルことはなかった。予想だにしない内容と結果で試合は終わったからだ。
まさかマルケスが、パッキャオに対し一番劣っていたはずのパワーで勝つと誰が思っただろうか、どうかそのパワーが練習の賜物であったと信じたい、、、
パッキャオの今までの対戦者に対してのアドバンテージは常にスピードであった。そこにパワーも加わっていたからこそ、圧倒的に試合を進め続けられてきたんだと思う。そして先にパンチをコネクトしてから自分のペースに持ち込むのが勝利のパターンだったはずだ。
しかしマルケス相手にだけは、それが今まで中々出来ていなかった。パッキャオのスピードを殺させるマルケスの技術と勇気はすごいものがある。
べガスのビッグマッチを見たのは今回が初めてだった。
世界中で大小さまざまな試合を観て来たけれど、べガスで見ていなかったと言う事はある意味、まだ何も本当のボクシングに触れていなかった、と言ってもよかったのではなかろうか。そう思わせる程、良い雰囲気だった。
そして観客に目がいった、ド派手なかわいい子が沢山いたから、と言うだけではなくて、いったいどんな観客達がこの試合を観に来ているのか気になったんだ。
メキシカン、フィリピーノは当然多くいたが、思いのほかそんなにボクシングに詳しくはなさそうな一般的な白人も多く会場で見られた。
これはきっとパッキャオの人気が一般レベルに浸透している証拠なのだと思った。
一般の人達にとって、マルケスはメキシカンのお客を呼ぶレベルまでの知名度でしかなかったはずだ。しかしそのメキシカンが一番の動員力を誇っていたのだろうけれど、、
普段ボクシングに気を止める事が殆どないはずの一般的なお客が「あの試合を会場で見ていた」ということに喜びを持たせる程、パッキャオの知名度はアメリカに一般レベルで浸透しているのだろうと思った。
今回は今までの二人の対戦に比べてフィリピーノの数が少なかったらしい。きっとチケット代が高くなっていった事、経済力を持つ一般客が会場に足を運んだことがその要因でもあるのだと感じた。
他にもいろいろと感じる事はあったけれど、基本的にはメインイベントのあまりの内容の濃さに、感じた事について思考するまでにいたらなかった。
衝撃をどんな試合にでも、特にメインイベントにその可能性をどれだけ匂わせられるかが、この競技のプロモートにおいて大切な部分なのだと思った。
本日LAに向かう。今度もまた関係者のお陰だ。今度来るときは少しでも自立出来る力を付けねば、、
皆さん、この度も本当、ありがとうございました。
(嗚呼、こんなはずでは、、、)
12月8日(土)、早朝の今、LAの空港にいる。
本当はもうラスベガスに入っていたはずなんだが、ちょっとした手違いでまさかその後の全てのフライトに間に合わず、
結局カンクン→メキシコシティ→LA→ラスベガス、
までの全ての航空券を再購入しなければならなくなってしまったんだ。
経費を安く抑えようと粘って航空券を探したが、結果としては粘らずに購入するより遥かに高額を支払う事になってしまった、、、
今までにもそんな経験は何度かあった。
難しい所だ、
粘らなければと一般的に手頃なチケットは手に入るかもしれない、しかしそのお手頃価格が中々、今の自分、ジムには厳しい金額なのだ。それでは早めに購入したとして、しかし予定が変更する事だってある。
ただ粘った結果よかった事も何度もある。しかし何度か起きてしまうミスにその全てを潰されてしまうんだ、まぁ、それを起こすのはいつも自分自身だけれど、、、
これはきっと航空券だけに限った事じゃない、自分は試されているのだ、”決断力”というものを、あれ、大げさですか?
でも、本当にそう思うのだ。これはお金だけの問題ではない、そこにそそぐ時間とエネルギー、
もしも正しき決断が出来ていたのなら、きっとすぐに次のやらなければならない事に移れるはずなんだ。しかし、だが、次の用件で無駄に時間とエネルギーを注ぎまたミスをしたりするのだろうけれど、、
まぁ、今回は予定通りにいかなくなった時の”判断力”も鍛えられたと考えるべきなのだろうか。
しかし、時間とエネルギーはその後の頑張りで取り戻せそうな気がするが、現実的なお金はちょっと、、
時間とエネルギー、そしてお金、今後しっかりと考えていかなければいけないと思った。ちょっと考えるのが遅いか。
しかしこんな疲れているときこそ、チャンスを逃さないよう前を向きたい。まぁ、前には何が見えるのか定かではないけれど、、、
(マッチョへの追悼も、、)
WBC総会、自分達の意見を主張出来る最大の場、ランキング委員会に出席し、その結果は、荒川仁人は相手のエストラダと対戦、ランキングは1位から2位への1ランクダウンで落ち着いた、という形になった。
ランキング委員会時、難しくとも自分達のTKO勝ち、またはノーコンテストを主張するつもりだった。
けれど、スレイマン会長、ビックリする位にこちらの話しを少しもさせてくれなかったんだ。
もう、僅かでも触れるな、と言わんばかりだった。
会場に姿を見せていたエストラダ陣営も黙ったままだった。
もう誰もがあの試合に大きな過ちがあったことを認めていたんだ。
もうここから次に繋げるためだけに動くべきだ、と判断し、完璧に切り替えた。
さっそく再戦相手となるエストラダのマネージャーと話しをした。
アメリカ等での試合の可能性もあるのを感じている。
全てはまた動き出した、前へ前へ、ただ行き過ぎないようには気をつけているけれど。
それにしても、こちらはかなりいろいろなパターンを考えて、マイクの前に立ったのに、あんだけいっさい喋らせてくれなかった事、驚いた以上にやはり結果の酷さは相当だったのだと、改めて感じさせた。
スレイマン会長を必死で喋らせた荒川はたいしたもんだ。まぁ、自分に対してお前はもう黙ってろと言われていたようなもんだけど、、、
今度WOWOWのエキサイトマッチでこの因縁となってしまった試合が放送される予定、どうか皆さんにも見てほしい。
明日、カンクンを出てメキシコシティ、そこからロス、べガスへと向かう。
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issei nakaya
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