(そりゃ、このときはまいりましたよ。)
先日、このブログに記事を書いて以来、また日が空いてしまった。
その間にまさか本当に先日書いた対応力を試される機会が、すぐに訪れるとは思いもしなかった。
2月21日に予定されていたNYでのチャーリー太田の試合は、相手選手のフィジカルに異常が見つかりキャンセルとなってしまった。
その際は皆沈んだ。
けれどすぐに思った事は、それでも来る予定を立ててくれた人達の為に、せめて当日のチケットを数枚確保しようと思った事だった。
「皆、もう既にチケットは買ってるんだヨ。」
チャーリーが教えてくれた。嗚呼、皆さん、試合が出来ず本当に申し訳ない、、、
しかし、その計量時に知らされた1週間後の3月1日、NYの北にあるフォックスウッズ・カジノにて行なわれる試合出場の可能性に、気持ちを盛り返させてもらったのもまた事実。
チャーリーより大きな舞台に登場するチャンスを得れる可能性が出来たのだ。
そのイベントならばモチベーションも維持出来る。ラッパー兼プロモーターの50セントがディベラプロモーションと共同プロモートすることで異色の注目を集める同興行、発表されて以来、自分もチャーリーも気にはなっていた。
まさかその後に自分達が登場する可能性があるとは。何が起こるか分からないモノである。
いろいろな事が細かく、大きくあったけれど自分達はこの日の興行に出場するチャンスを掴む事が出来た。決して簡単に入り込める興行ではなかったのは確かな事だ。
それでもねじ込んでいけたのは、僕の力がついたから、ではもちろんない、残念ながら。
周りの人達がいろいろと動いてくれたのだ。自分はただ邪魔をせず、しかし予想を立てて静かに動いただけ。そしてチャーリーが我慢し、信じ、トレーニングを続けていたからこそ。
失うモノは少なからずあった。全ては未来を切り開く、そのチャンスを得る為だ。嗚呼、無理だったらどうすればいい、、
それもまた経験となり、勘違いしなければ糧となって皆に積み重なるはずだと思った。ギリギリだからこその緊張感ある対応ができたと思う。これは間違いなくチャンスなのだ。
そして自分達がNYで残って勝負する事が出来たのは、日本で自分達の穴を埋めてくれているスタフや練習をがんばる選手達がいるからこそ、だと言う事をとても感じている。個人で大切な用事があったにもかかわらず、それを諦めて仕事に専念してくれたスタッフもいる。
皆、本当にありがとう。でも、出費が激しすぎてお土産は買ってあげられそうにないけれど、、
代わりにおっきなチャンスを掴む、きっかけを掴んできたいと思います。
今日、試合の為の最後の検診をチャーリーが受けて来た。後は計量、試合を迎えるだけだ。
と、思っていたら今、プロモート会社からもう一つ検査を受けてくれと電話があった。嗚呼、後少し、後少し、、、
NYの外はまだ寒い、日本もやはり寒いのだろうか。
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約1年ぶりのNYに今着ている。東洋太平洋スーパーウェルター級王者のチャーリー太田の試合のためだ。
前回はいろいろとしっかりと準備をし過ぎてよくなかったことがあり、今回はあんまり準備をしなかったせいで良くないことがいろいろとあった。嗚呼、なんてこった、、
つまりそのときどきで、うまく行っている時も、またそうでない時も、対応力を持っていないといけないということか。
ついでに言ったら判断力も必要だと感じた。今回は判断したことが裏目に出てばかりでいろんな人たちに迷惑をかけてしまった。きっと今までの経験をうまく結び付けられていなかったからだろう。
その全てで瞬発力が伴っていたらなお素晴らしいのだろうけれど、とりあえずはこれから試合まで、出来るだけ良い判断と対応で進んで行きたい。瞬発力は経験と重なり出してからついてくると思うんだ、多分。
チャーリーが昨日、NYに到着した。これから早速トレーニングを始める。
1年経って、自分達の変化を試す機会、それが成長と呼べるような結果と内容を求めたいと思う。
10日を過ぎてはじめて最初の記事。
きっとみなさん仕事が始まって正月休みから日常に戻りつつあるのでしょう。
自分はちゃんと年末に終わらせられなかったことを正月の間やっていた。それぞれに正月の過ごし方はある。
2013年になっても中々決まらないことがる、試合のマッチメイク。
選手はしっかりと準備してくれている。その姿を事務所から眺めているのはちょっとつらい。
しかし、そこで終わらずに、むしろそこからのアイデアで勝負するのがうちのジムの持ち味だ。どうか選手の皆はそれぞれに戦っていてほしい。チャンスの来るその日まで。
と言っている間に一人の選手の試合が決まり、一人の選手の試合は中止となった。
決まったことは違うけれども、両者ここは頑張り所である。あっ、自分もか。
今はなりたい自分への過程なのだ。まっすぐ最短、進みやすい道を歩めるのは限られた人間だけなのだと自分は思う。だから自分たちは自分たちなりの道を進んで、自分の目標に向かっていくしかないはずだ。
それぞれに人生の過ごし方はある。
今年は決まらないまま始まった。それも過程だと信じたい。
(とりあえず、また来年やればいっか。)
今、ジムの引っ越し、年末の片付けを行なっている。しかし1年を締めくくるようなものではない。
多分、年を越す事も普通に流れ、ある意味ただの1日になりそうだ。
物事を締めくくる事はとても大切だと思う。
が、どうやら自分はそれを行なう事がとても苦手のようで、ズルズルと進んでしまっても構わないから、区切るような休みを入れずに継続しながら常に行為を続けることが合っているみたいだ。休むともう戻る力が無いからかもしれないけれど、、、
それはある意味、終わりも、始まりも特にはなく、継続し繋げ続けるジムの流れと似ていなくもない。
今にして思えば、良かった事も、悪かった事も、殆ど混ざっていて一つ一つの出来事として捉える事が出来やしない。全ては大きくなる次へ進む為の要因でしかなかった気がする。
だから前だろうが後ろだろうが、進んでいる限りは今日その日の考えが全てであり、過去の考えは、そんなに大切な事ではないのではないかと思うんだ。大切な事は自然と残る。
過去を引きずるようにして今を生きるのはしんどい事もある。心機一転、新たな気持ちで、物事に望むのは素晴らしい事だ、けれど、実は常に積み重なりは止まらないことを分かっている。
だから昨日諦めたことが今、目の前に存在する。ああ、昨日やっておけば良かった、、
その固まりを片付ける為に、皆、大掃除をするんだね、きっと。
出来ないなら、毎日やりきらないと行けない事を再確認した自分の、大掃除をやれない言い訳。
今日のジムは写真撮影。
先月、沖縄でWBCユース世界バンタム級王者になった野崎雅光のパネル写真のためだ。
後楽園ホールではなくジムに飾るためのパネル写真、暗黙の適度なルールがあるホール用の写真と違って、ジムだけのならばある意味、撮影は自由だ。
(いや、いや、いや、自由ってそんな意味ではないでしょ。)
全日本新人王となり、日本ランカーとなった野崎のまさはその空間を自在に操るような動き、”八王子の小天狗”としてあだ名を襲名した。決して無理やり名付けたわけではない、はずだ。
そして2年前、今や良い思い出となったメキシコ修行の旅に出た野崎まさ、その修行の旅に携えさせたのがこの天狗のお面だった。
わざわざ高尾山のご協力を得て制作したこのお面、元々はトサカのあるただの烏天狗のお面だったが、これをベースに改めて制作してもらったのだ。
(からすが、、)
(烏天狗に)
震災後のまだまだ大変な時期だった。
その際に決断したメキシコ修行、試合の旅、荒川も練習させるため、準備が大変だったのを覚えている。あいさつ回り、航空券、メキシコ側とのコンタクト、その他国内の試合準備、などなど
結局お面の制作は出発には間に合わず、メールやテレビ電話を通じてメキシコからイメージを伝え、その後に持ってきてもらった。
なぜ、大変な時期にこんなものを制作したのかといえば、何でだろ、、
きっと何か象徴的なものを携え、何かを背負って挑戦したかったのだと思う。そんな覚悟が必要な時だったんだ。
多分、このお面にはまさよりも自分のほうがずっと思い入れがあるはずだ。沢山の意味を込めて制作したこのお面、あの時のことを改めて思い出す。
思い出す、、
ふ、2つくらいしか思い出せん、、
たくさん込めて、残ったものが本当に大切なこと、としておこう。
今度のお面の出番は来春前あたりである。
先月、沖縄でWBCユース世界バンタム級王者になった野崎雅光のパネル写真のためだ。
後楽園ホールではなくジムに飾るためのパネル写真、暗黙の適度なルールがあるホール用の写真と違って、ジムだけのならばある意味、撮影は自由だ。
(いや、いや、いや、自由ってそんな意味ではないでしょ。)
全日本新人王となり、日本ランカーとなった野崎のまさはその空間を自在に操るような動き、”八王子の小天狗”としてあだ名を襲名した。決して無理やり名付けたわけではない、はずだ。
そして2年前、今や良い思い出となったメキシコ修行の旅に出た野崎まさ、その修行の旅に携えさせたのがこの天狗のお面だった。
わざわざ高尾山のご協力を得て制作したこのお面、元々はトサカのあるただの烏天狗のお面だったが、これをベースに改めて制作してもらったのだ。
(からすが、、)
(烏天狗に)
震災後のまだまだ大変な時期だった。
その際に決断したメキシコ修行、試合の旅、荒川も練習させるため、準備が大変だったのを覚えている。あいさつ回り、航空券、メキシコ側とのコンタクト、その他国内の試合準備、などなど
結局お面の制作は出発には間に合わず、メールやテレビ電話を通じてメキシコからイメージを伝え、その後に持ってきてもらった。
なぜ、大変な時期にこんなものを制作したのかといえば、何でだろ、、
きっと何か象徴的なものを携え、何かを背負って挑戦したかったのだと思う。そんな覚悟が必要な時だったんだ。
多分、このお面にはまさよりも自分のほうがずっと思い入れがあるはずだ。沢山の意味を込めて制作したこのお面、あの時のことを改めて思い出す。
思い出す、、
ふ、2つくらいしか思い出せん、、
たくさん込めて、残ったものが本当に大切なこと、としておこう。
今度のお面の出番は来春前あたりである。
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